前回ミステリーネタを探して公民館にやってきた我々は一冊の本と出会う。そこには房住山ミステリーの内容が少々過激な描写を交えつつ、こういちでも分かりやすい漫画で描かれていた。我々はそこに描かれていた長面三兄弟に注目し、長面が地名として残る下岩川長面を目指すのであった・・・。
やってきました下岩川長面。バスの看板にもしっかりと長面の文字が!
車で来たのになぜか次のバスの時間を気にしつつ散策していていると、さっそく良さそうなお店を発見!こちらの赤川商店さんでミステリーの手がかりを探る事にした。
地図上ではこの辺。
「こんにちは。私達三種町のミステリーを探していまして・・・」
「どうりであやしい人が歩いてるなと思ってたよ(笑)。」
「いきなりお騒がせしてすいません(笑)」
「はじめは石井漠の事を調べているのかなと。ほら、お店の前の橋の所に木の柱が立ってたでしょ?」
「あ、アレですね!なんか凄そうと思ったんでとりあえず記念写真を撮っておきました。」
なんか凄そうな柱
「ここ下岩川は石井漠生誕の地でね。この前も大学生が研究で来たから、てっきりそうかなって。」
石井漠とは?
1886年(明治19年)、秋田県山本郡下岩川村(のちの山本町、現三種町)に生まれた。下岩川小学校時代、吃音の友人の口真似をしているうちに自らも吃音となる(これは終生改まらなかった)。1906年に秋田県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)のストライキに連座して同校を退学になり、小坂鉱山の庶務課に勤務するも長続きせず1909年に上京。押しかけ弟子として大町桂月や小松耕輔の門を叩いたが受け容れられず、同郷の小杉天外の書生となる。このころ、中村武羅夫や加藤武雄と交際し、加藤の勧めで吃音矯正のため伊沢修二の楽石社に通ったが挫折。やがて天外の家を出て三島霜川の家の居候となり、小説の修業をしたが自らの文学的才能に見切りをつけ、三島の家に同居したまま帝国劇場管弦楽団の団員見習いとなる。しかし、帝国劇場から貸与されたヴァイオリンを三島により無断で入質された上、そのことが帝国劇場側に露見したため、2ヶ月で見習いをクビになる。三島の家を出た石井は友人の水守亀之助や加藤武雄の家に転がり込んで生活していたが、1911年、帝国劇場の歌劇部開設に伴い、見習い第1期生として歌劇部に入部。三浦環に美声を認められ帝劇歌劇で活躍したが、指導者ジョヴァンニ・ヴィットリオ・ローシーから暴行を受けて[要出典]帝劇を去り、以後は浅草オペラなどで活躍した。のちの大正時代、ヨーロッパやアメリカに渡り、現代舞踊を研究。「モダン・ダンス」の先覚者となる。黎明期の宝塚歌劇団等の指導も経て、作曲家・山田耕筰らと組んで、日本人にとっての新しい舞踊という境地を大きく切り拓いた。
石井漠-wikipediaより引用
「石井漠もすごく気になるのですが、今回は長面三兄弟について調べているんですよ。ここの地名にも長面って入ってるから関係が深いのかと思って聞き込みをしている所でした。」
「あー長面三兄弟ね。確かに地名の長面は長面三兄弟の長面に由来しているみたいだね。聞いた話では、ここの他にも五城目や大館にも長面という地名があるみたいだよ。」
「なんと、そうなんですね。ここだけじゃなくて他の地域も同じような伝説があるのかな。伝説って言われているけど、こうやって地名が残って語り継がれているって事にリアリティを感じてしまいますね。地名の他に何か三兄弟にまつわるモノはないですか?」
「墓!?三兄弟の墓ですか?」
「三兄弟のうちの一人だったかな。店の前の道をしばらく行くと集落の切れ目があるんだけどそこにあるよ。」
「なんと。やはり長面三兄弟は実在したんですね。」
「最初はしっかりした墓じゃなかったみたいで、ほったらかしだったみたいだったんだけど、そうしているうちに辺りの住民が流行り病だとか不幸が続くようになってね。それから墓を整備したりお寺さんから供養してもらったりしたみたい。」
「え、たたり的な?マジなヤツじゃないですか・・・。なんだか急に怖くなってきましたよ。」
「まぁお陰で今は何も起こってないけどね(笑)」
「お祭りのような行事はありますか?男鹿のなまはげのような感じ・・・。」
「お祭りは前にあったみたいなんだけど、最近はやってないね。長面三兄弟の着ぐるみみたいなのを着てやってたのかな。」
「着ぐるみですか!?なんか今だったらゆるキャラになってそう。三兄弟の身長は3~4メートルくらいあるって本に書いてありましたけど、やはりその着ぐるみもそのくらいあるんですか?」
「やっぱり大きかったよ。しかも中に入る人もかなり大きかった。役場の人がやったと思ったんだけど、2メートル近い人もいたんじゃないかな。」
「それ着ぐるみを含めたらかなりデカい(笑)。役場の中でも選りすぐりのデカい人が入ってたんですかね。一度見てみたいなぁ。」
※後日検索したら画像を見つけました。こんな感じみたいです。
微笑の日記様より引用。
「ちょっとこれ見てよ。」
「これは・・・米袋ですか?下岩川舞って書いてありますけど・・・。」
「この地区では下岩川米っていうおいしいお米がとれるんだけど、それに石井漠の[舞]をかけて[下岩川舞]として石井漠生誕の地をPRしているんだよ。」
「あ、ここにも石井漠の絵が・・・」
「そうそう!そこの下にある文字はね・・・」
「赤川さん、めっちゃ石井漠推してきますね(笑)」
この米袋を店頭でお見かけの際は是非パッケージにも注目してみてください。(※石井漠の資料はついてきません)
あと、赤川商店にあるお店と家の中間辺り雰囲気をもった場所がとても居心地が良かったです。
赤川さんのお話から察するにお墓はこの辺りにあるかと思います。
地図上ではこの辺り。
「あったとしても赤川さんからあの話聞いた後だしね。ちょっと怖い。」
「ん?もしかしてあれかな?」
「それにしてもこのロケーション・・・ほぼ小屋の敷地内だよ。」
「阿計志丸(あけしまる)って書いてあるから、三兄弟の弟のお墓だね。」
「いやー本当にあったんだね。いつもだったらここでふざけたオチ作りっていうところだけど、赤川さんの話聞いた後だからまったくそういう気が起きないね。・・・とりあえず手を合わせておこう。」
以上、今回のミステリーハンターいかがだったでしょうか?一冊の本との出合いをきっかけに墓で世界平和を祈る。そんな週末も悪くないですよ。みなさんも私と一緒に週末ミステリーハントに出かけませんか?それではまた。